【日本酒コラム】なぜ去年旨かった酒は今年それほどでもないことが多いのか。 


※「本日の転入生」用の前説の下書きが少し長くなったので、コラムとして単独UPします。


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 毎度アクセスありがとうございます。


 最近わかった (感じてる) ことがあって、つまりはこういうこと。

 なぜこうも去年より出来の悪い酒ばかりなんだ!?

 これ、論理的に突き詰めていくと案外単純なことで、

 

 ① 旨い酒ができます。
  →来年も買います。

 ② 旨くない酒ができます。
  →来年は買いません。

 ※旨い酒は滅多にできません。



 頭のイイ人ならこれでピカーンと来ると思うけど、そもそもの大前提「旨い酒は滅多にできません」──これが最大のネック。つまり、去年旨かった酒が今年も同じように旨いということは「滅多に起きない事象」であるというわけだ。だから、去年旨いと思った酒と同じモノを今年も飲んで「去年よりも旨い!」と思えることは非常に難しい。

 なぜなら!──※旨い酒は滅多にできません。

 そして「美酒との遭遇」をさらに困難にする悪魔の条件こそが、②の「旨くない酒ができます。→来年は買いません。」ということにあるわけだ。つまり、逆の現象があることを我々は忘れがちなんだな。

 去年出来の悪かった酒が今年は旨く仕上がってる可能性を見落としている!

 でもこれ、仕方なくね? オレほどの勇者でも、去年「マズイ」と感じた同じ酒を今年も買おうとは思わないもの。必然、同じ酒を買うなら「去年旨いと思った酒」を買うわけだろ? しかしこれが厄介。なにせ「※旨い酒は滅多にできません。」──これが宇宙の法則なんだから。

 結論!


 ⓐ 去年旨かった酒はクワナリの確率で今年はそれ以下になる。
 ⓑ 去年不味かった酒はそれなりの確率で今年はそれ以上になる。




 もちろん、1年の間に嗜好の変化や舌が肥えるということはあるでしょう。ただし、それだけじゃ説明できないこともあり、それらをキレイに説明する定理として、まずは「※旨い酒は滅多にできません。」ということを頭に入れておくと、案外スッキリする──少なくともオレは今、非常にスッキリした。

 たとえば!

 昨今、日本酒に関しては、以下のような言説がありとあらゆる場所で溢れかえっている。

 日本酒は今、歴史上、最も旨い時代に突入している──。

 ある意味で、これは正しい。だが、それはあくまでも「全体」の話であって、旨い酒に遭遇する確率が上がり、それを実感する機会が増えただけで、その酒が来年も同じように旨いことを保証するものではない。実際、2014年の7月頃から、我々夫婦もそれなりには旨い酒にありつけたとは思ってる。だがしかし、その陰で、そうでもない酒もたくさんあった。それでもその旨い酒は──1年生なのだから必然──、去年との比較はできないわけだ。

 たとえば去年との比較ができない1年生状態で200本の酒を飲む。そのうち、70本が「十分に満足できるほど旨かった」としよう。残りの130本は「そこまで満足はできなかった」が、相対的な比較は無理なので、どういう風に不出来なのかは窺い知れない。

 そして翌年、去年大いに満足した70本を再飲する。するとどうだ。あの宇宙の法則が情け容赦なく襲い掛かってくる。

 ※旨い酒は滅多にできません。
 ※旨い酒は滅多にできません。
 ※旨い酒は滅多にできません。

 さあ、困った。この70本の中に、一体どれだけ去年の出来を上回る酒があるのだろう。実際、オレに限って言えば〝ほぼZERO〟になるんじゃないだろうか。

 ところが!

 はいそこ、正解。去年飲んで別に感動できなかった130本、それらの方が去年の出来を上回る酒が多いことは必然。そして、それが去年の70本レベルに並ぶことだって十分にあり得る。

 当然、ここには「米の出来」や「蔵の環境変化」という要素も複雑に折り重なるが、常に「※旨い酒は滅多にできません。」という宇宙の法則に立脚して物事を考えれば、だいたいの説明は付く。実際、去年出来の悪かった「長陽福娘 雄町」は今年の方が旨い。

 モウカンよ、今さらそんなことに気づいたのか?

 悪かったな、気づくの遅くて (笑) 。オレはな、こう見えても、もともと物事を理解するのが遅いんだよ、昔から。ただし、一度わかれば、どんなジャンルでも人前で講演できるレベルにまで理解が深まります。

 さて、この理論をどう名付けよう。そうだな・・・。

『美酒は幻』理論──。

 ひとまずは仮でこう名付けておこうか。


moukan1972♂






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